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おいらん淵 おいらん淵・哀歌

 甲斐において金山といわれる金鉱の開発は、武田信虎が始め、信玄の時代に最盛期を迎えました。

 無敵を誇った武田軍の軍用金は、甲斐の国を囲んでいる山々のほぼ全域から掘り出された金に拠っていましたが、中でも有名な黒川金山はその採掘量も多く、武田軍団を陰で支えていました。

 それだけに、この金山で働いていた人の数は多く、黒川千軒といわれる坑夫たちの住まう集落をも出現させていました。

 金山の経営にあたっていた金山衆は、武士も兼ねた最高の技術をもった職業集団として戦にも参加し、その技術を生かして、城をも取り崩すという工作隊的な任務についていました。

 武田信玄が野田城を囲んだ時、この金山衆が井戸を掘り崩して敵の水を奪い、城を落した話は有名です。

 華やかな黄金にまつわる話の裏には、また悲しい物語も秘められています。

 金山の閉山にあたり、秘密が漏れないよう遊女たちを深い谷の上に架けられた舞台の上に集め、酒盛りの最中に綱を切って、谷底に沈めた「おいらん淵」の伝説。悲運な女郎たちの嘆きが、深い緑の中に吸い込まれていくようです。

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